スピリチュアル・カウンセラー ミュゲのLove Blog

「ハピエネ・セラピスト、ミュゲのワンダーランドへようこそ。日記やスピチュアルなお喋り、お知らせなどをUPしています。」

2017年01月13日(金)

風のように空気が [ちょっぴりエッセイ]

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風のように
空気が動いている

AIRとは
AI(アイ)R(アール)
愛 あーる だな
宇宙のジョーク!!(笑)

この自然な動きに
何も心配せず 身を委ねていこう

どんな感情も 悪いということはない
そこに意義付けをしなくとも
火打石を
叩いてこすれば 摩擦で火がおこるように
それらは一つの 現象にすぎない

その火がそして 
お湯をわかしたり
固いお米をふっくらご飯にしたり
料理を美味しくしたり
いらないゴミを燃やしてくれたりする

その火を 素手で触れば
熱くて火傷をするけれど
だれもそれを 悪いものだなんて言わない

全体からみれば 
風のように
空気が動いている

ときにはそれが
心を吹き抜くすきま風のように
うすら寒く感じることもある

でもそんな風も実は
AIR
愛あーるなのだ

水も 土も 火も 風も
私たちと共にある

そこに ただ唯一の私が 
動いている

だから 何も心配せず
この自然な動きに身を委ねていこう

風を受けとめて その風を感じている
それが 今のあなただ
と、風をおこした存在はいう

それが実は 己だったと
気づいた自分もいる

溶けていく 溶けていく
ただ風に吹かれて 溶けていく

そしてまた 風を感じる自分に戻っていく

この風を受けとめている
そこにまた 次の波が生まれる

そうすればまた その波を愛し
その波を呼吸し その波を生きていくのだ

その結果がどのようであれ
そこに何一つの間違いもない

あなたが創った作品であり
いかようにも 変えることができる

あなたの好きな世界を創ればよい
あなたにそれ以外の 使命はない

と、森羅万象は告げている

あなたは 愛のかたまり
あらゆる他のものもみな 愛のかたまり

そこで 愛のダンスを踊っているのだ

 
 
と、感じた
2017年1月13日の朝。



1/22フラワーエッセンスとお手当瞑想会@西荻窪






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2016年09月08日(木)

森へ行こうと思った日 [ちょっぴりエッセイ]

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その朝、いつものように感謝の祈りを捧げているとき、ふと

「あ、森に呼ばれてる・・」

って思った。

そうだ、森へ行こう。
 

何年も前、ずっと私を森に誘ってくれていた友達がいた。

彼女は森で焚く火に魅せられていた。

そして、みんなでバームクーヘンを焼くんだって。

「何度か焼くたびに、上手になっていくの。」

と楽しげに笑っていた。

なのに、私を森へ連れていってくれる前に、突然天国に行ってしまった。

 
今年はだから、彼女を思い出しながら森へ行こうと思う。

沢山の命が息づく森。

そうだな、秋が深まって、今ある予定が少し一段落する11月か12月。

 
 
昔大好きだった、ムーンライダーズにこんな可愛い歌があったな。

可愛いけど、意味深な。

  

☆森へ帰ろう BTOF 〜 絶頂のコツ☆

https://www.youtube.com/watch?v=yOIEHuGMjJM

作詞 鈴木慶一
作曲 鈴木博文

君に出会ったその日から 鳥のような気分で
心の中味を 空から眺める
君が好き 森へ帰ろう

君とこうなる前には 虫のような気分で
落ち葉や石ころ 一人で見つめてた
君が好き 森へ帰ろう

今消えてく フラストレーション
車とめて森を歩く
君にあげるよ このカーネーション
今溢れる ピークエクスペリエンス

心の中味を  木陰で広げる
君が好き 森へ帰ろう

ケモノの言葉を 二人で話して
心の中味を 木陰で広げる

I WANNA GO HOME
森へ帰ろう





第10回愛の魔法学校〜新宇宙の波にのる魔法 9/22(木・祝)@吉祥寺

フラワーエッセンスとお手当瞑想の会 10/2(日)@西荻窪






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2016年01月13日(水)

2016年もよろしくお願い致します☆ [ちょっぴりエッセイ]

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初詣に訪れた甲斐奈神社


2016年が明けて、気づいたら既に2週間が経っていました!!

波動フェチの私からしたら、本格的な波動性の時代元年ともいえそうな今年。
よりその人の「本性」が出てきます。
みなさま、覚悟しましょうね!(笑)

そんな思いもある中、この年末年始に私の心をよぎった出来事を綴っておきたいと思います。

大晦日と三が日は、山梨、甲府の実家で過ごしました。
結構近いのに、お盆とお正月くらいしか帰省しない私でございますが、年々帰省すると、この土地の空気と水の清らかさ、土地の波動の気持良さに心身ともに癒され、一気にエネルギーチャージできます。

家族と過ごしたり、幼なじみと遊んだり、温泉いったりしてノンビリするのですが
今年は、ノーベル賞の大村先生が収集された絵画などのコレクションがある「韮崎大村美術館」に行ってみました。

こじんまりした良い美術館で、ま〜個人でよくこれだけお集めになりましたわ!と思うくらい、大きな作品も含めて、沢山の素敵な絵画や立体作品が飾られていて、時のひとなので、沢山の人が訪れていました。
韮崎のちょっと標高の高い、眺めのよいエリアにあります。

去年、2015年は、本当の意味で人生変わるな〜と思える素晴らしい瞑想法とも出会い、意味合いの深い年になりました。

それにともない私のハートは、これ以上開いたらどうなるのかな?と思うくらい全開の時が多いようです。

そんな状態で故郷の空気に触れていると、冬の山々も、風景も、家族や親しい人の姿も、さまざまな事がより一層美しく目に写り、深い味わいをもって感じられてきます。

継母の車で故郷の街を走っている時、車の中で徳永英明の
「壊れかけのRadio」
がかかって、突然、思春期のガラスの破片のようだった10代の自分が甦って、泣きそうになりました。

あの頃の自分も愛おしければ、あの子の思春期も、アイツの思春期も、あの人やこの人の思春期もぜんぶぜんぶ一斉に押し寄せてきて、本当に愛おしすぎて涙をこらえるのが精一杯でした。
(一人だったら号泣してました。笑)

そして、みんなみんな、気づいていてもいなくても、抑えて感じないようにしていても、傷つきすぎて、疲れすぎて、諦めきって忘れてしまって、そんな感覚はもうとっくに失ってしまったと思い込んでいても、本当は、みんなの心の奥深くに、そんな純粋な感性は存在し続けているのだと感じました。

大人になると、適当に鈍感になって、分別がついてきて、分かったような事を言って、真理にフタをしてまで、物事を繕って生きて行かなければいけない・・
そんな予感がしていたから、それが大人になるっていうことだと、あの頃の私は感じていたから、きっとあんな風に抵抗をしていたんだろうな、と今思います。

そんな事はないんだよ、ってあの頃の私に伝えに行ってあげたい。

大人になるって、素敵なコトだよ。

魂が成熟していくと、いろんな素晴らしい体験をできるんだよ。

心の純粋領域は、何も変わらないの。

だけど一生懸命自分に正直に、自分の道を進み続ければ、もっと沢山の愛を知り、もっと沢山の愛を通して、表現できるようになるんだよ。

強がらなくてもいいよ。

一人じゃないんだよ。

天地いっぱい、沢山の命と一緒だよ。

育まれて生きていけるんだよ。

死ぬまでそうだから、何も心配いらないよ。

そう、言いに行ってあげたいです。

そして私はこれからも、ず〜っと内なる14歳のガラスの心を持ち続け、安心して大いなる宙に委ねて、生きていこうと思います。

ということで、

皆さま、2016年もどうぞよろしくお願い致します。

今年も全力で精進します!!

(注:私の全力は、マイペースのことです。笑)

《壊れかけのRadio/徳永英明》
https://www.youtube.com/watch?v=C7QVaahn44A

思春期に 少年から大人に変わる
道を探していた けがれもないままに

飾られた行き場のない 押し寄せる人波に
本当の幸せ教えてよ 壊れかけのRadio

華やいだ祭りの後、静まる街を背に
星を眺めていた けがれもないままに

遠ざかる故郷の空 帰れない人波に
本当の幸せ教えてよ 壊れかけのRadio






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Posted by 管理者 at 00時07分   パーマリンク   トラックバック ( 0 )   コメント ( 0 )

2015年12月15日(火)

最近ふと思い出した、曾野綾子氏のエピソード [ちょっぴりエッセイ]

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井の頭公園の最後の紅葉


昨日ふと思い出したこと。

30年ほど前に、雑誌に載っていた曾野綾子氏のエッセイ。
(彼女の著作や、最近炎上していた意見とはカンケイなく・・)

彼女にも時々すご〜く仕事に行き詰まる時がある、という話。

「もう私はダメ。もともと才能なんか無いのよ。作家なんて辞めた方がいいのかも」

と、夫である三浦朱門氏に訴えるのだそうです。

すると打ち明けられた朱門は、

「どうしたの?また疲れが溜まって喉が腫れているんだよ。
ルゴールをぬっておいで」

と、言うのだそう。

そうすると彼女も、ああそうかも、と思い
ありったけのお気に入りのマンガ単行本をかき集めてベッドに潜り込み、気分転換してから爆睡すると、いつの間にやら低迷した気分も晴ているのだそう。

彼女は続けて

このように、家庭というものには、人生の悩みも崇高な苦しみも、哲学的な苦悩でさえ、日常レベルに引き下げ、そこで浄化してしまう力を持つ。
だから私たちは生きていけるのだ。

と書いていました。

私は、当時20歳そこそこでしたから、この言葉のもつ深い意味合いはあまり分からなかったのですが、とても印象深くて、この言葉の重要な意味を感じ、ずっとずっと覚えていました。

今なぜかこの言葉が私の心に浮かんでいて、改めて人類が地上に生きている意味・・のようなものを感じ入っています^^

そして

その崇高な探求を日常レベルにまで引き下げないで追求したい時 人は家庭というものを離れるのだな〜と。

いい悪いではなく

魂の求めに応じて・・。

それにしても

仕事と自分自身に行き詰まって、作家辞めたい!とまで思い悩んでいるのに、夫三浦朱門から

「ルゴール塗っておいで」

って言われている、50代前半の曾野綾子氏

可愛くないですか〜♡^^♡




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2014年09月05日(金)

最後の恋 [ちょっぴりエッセイ]

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彼女の恋はいつも真剣で、純粋だった。

恋に落ちれば、その人はいつも運命の人に違いなかったし
この人と出会うために生まれてきたと思った。

打算や妥協や、相手が自分に何を与えてくれるかで好きになることなんてなかったし、
世の中にはそんなに上手に計算しながら恋愛できる人がいると知ったのも
随分大人になってからだった。

彼女の中で大切なのはいつも、どんな状況であれ
どれだけ自分が相手を愛することができるか、だった。

誰に教えられたわけでもないし
誰かのお手本があるわけでもなかった。

少女の頃からずっとずっと、その究極の、愛する能力のようなものを
試しているかのようだった。

それはきっと苦しい時でさえ
彼女の中で、密かな快感であったに違いないのだ。

愛されることを求めていないわけではなくて
愛されることに幸せを感じ、愛される自分でありたいとも思っていた。

けれど、どう考えても彼女の中に
たとえどんな状況下であっても、
相手が自分をどの位愛してくれているか、いないかに関係なく
愛することの方が価値がある
そんな基準があるかのようだった。

愛し、愛される
誰もが望む理想的な関係性は、それに比べたらまるで
大した価値がないと、彼女の内側のルールが主張しているかのようだった。



そんな、かつて君臨していたルールはどこから来ていたのか。

彼女はふと、ある師の一言を思い出す。

「すべての人間の欲求は最終的には、神へと通じる聖なる欲求へと繋がっている、という考え方がある」

恋愛という愛情表現は、その意味からいえば

神聖なる愛に一番近いようでいて、極端に遠い顕われかもしれない。



ここで言う「神」はもちろん、名前のある人格化された神々ではなく、宇宙の根源であるとか、大いなるすべてを包括するもの、といった意味での神。

人間がそこから来て、そこへ還っていく
或は、すでに自らがそこと一体であるのに、自覚できていないところの神。



そこへの帰還という旅を体験するため
人はそれぞれ、思い思いの道筋やドラマを演じ、その体験の中で遊んでいる。

もう遊ぶのにも飽きて、帰っていらっしゃいという宇宙の母の呼び声が聞こえるまで、汗まみれ泥まみれ、時には涙まみれ血まみれになって遊び続けることを選ぶ。

恋愛という遊びは、中でも強烈に彼らを惹き付け
甘味な苦しみを与え続けるプレイグラウンド。
人はさまざまな自分なりのルールでここで遊ぶのだ。
その遊びが、自分で決めたルールのある遊びに過ぎないことは、
その遊びを終えてそれを見るまで気づかない。

そこに、神聖で、特別な意味合いさえ与え続けることで
ロマンスとしてのストーリーは一層盛り上がり、転生を超えてそれは
彼らの魂に刻み込まれ、生き続ける。



彼女とて、もちろん例外ではない。

何故それを、繰り返していたかを本当に知るまでは。



恋愛の愛ということが何の投影だったのか

自らの魂が本当に求めていたのは何だったのか

彼女が得ていたエクスタシーという快感は、何の入り口だったのか。




人はみなこの世に来て、気が済むまで遊び、体験し尽くすまでは
それを諦めないのかもしれない。

でも人生のある時、ある問いが起こって
それが最大の魅力ある関心事になる。

それは、別の言葉で言うならば
永遠に去らないエクスタシー。



その時、彼女の目の前にあるのはきっと
最後の恋
なのかもしれない。









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2014年08月23日(土)

ともだち〜実なる関係 [ちょっぴりエッセイ]

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最近以前にも増して感じること。

それは、「虚構の世界」を生きている人の多さ。

とりわけ人間関係において。

もちろん昔からそんなホンネとタテマエの関係性は

どこにもあったのだろうけど、

今はネット社会というのが加わって、

「このように見せておきたい」

というさらなる虚構の世界が加わって

端から見ているだけでも、さらに疲れる状況となっているようです。




そんな中で

しょっちゅう会わなくてもずっと友達であることに変わりない人とか

或は付き合いが長いとか短いとか関係なく

リアルな本音の通じる相手とか

ちゃんと自分を感じて、今を自分らしく生きている人との関わりは

本当に心休まるし

「実(じつ)」

というものを改めて感じます。

実があるとかないとか言う

あの「実」です。




そう、この「実」というものは

しばしば地味だし、目立たず

人はおろそかにしがちなのでしょう。




けれど、自分で気づいていてもいなくても

この「実」を生きるとき

私たちは自分の魂と繋がりやすいのです。

もちろん、単なる誠実とか、真面目とか、現実的

という意味ではありません。

本当に自分らしい思いとか、人のなかにある「良心」のようなもの

それを生きること。

それは時に努力やチャレンジが要ることかもしれない。

でも「実」を生きる人は

そんな時もそれをないがしろにはしないのです。




そこには必ず、清々しく気持のいい自分

そして、そんな自分にふさわしい人間関係が伴うものなのです。

それ以外のものって、何か気持悪い。

そんなところでうごめいて苦しみ続けることはやめればいいのに

って思います。

そうした人間関係とは

とりもなおさず

「本当の自分自身との関係」

なのです。




もしもあなたが

「そんな事って自分にも可能なんだろうか?

だとしたらそんな気持のいい人生を生きてみたい」

と内心思っているのであれば、

2014年の秋を迎える前に

気持のよい自分へと方向転換を決意してはいかが?








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Maria & Angels

ハピエネ・セラピスト、スピリチュアル・サポーター

管理者

ミュゲ

スピリチュアル・リーディング、ヒーリング、フラワーエッセンス
などの個人セッションや、リーディング講座、ボディーワークショップ
などを開催。

セラピールーム・ミュゲ主催


「癒し系」と言われることも多いが、「波動使い」とも呼ばれる(笑)。
チャレンジ、美しいもの、面白い事や人、美味しいもの、音楽やダンス、芸術、
異文化、宇宙のザ・真理、大好き。

吉祥寺在住


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